年をとるということは、醜くなることではない。個性的になるということ。

ビルのポロポーズの言葉はこうだった。

「 I’m sorry.  ぼくには、あまり時間がない。だからできるだけ一緒にいよう。ミーティング、スーパーマーケット、バンク、ポストオフィス、レストラン、、、、ずっとどこに行くにも一緒にいたら、たったの10年が3倍の30年のように感じられる。」

私よりはるかに年上だったビルにとって、時間は大切だった。しかし、年の差なんて感じたことは一度もなかった。私にとってビルはとても大切で、かけがえのないどうしようもないくらいに愛していて、ただただ一緒にいたかった。結婚してからというもの、私とビルはどこへ行くにも一緒だった。周りの人たちがあきれるほどに。でも私は一度も飽きたことなどなかった。そしてどこへ行っても目を引いた。アメリカ白人とアジア人カップル、さらに私たちの年の差が視線を集めているのだろう。あの頃の私は他人の視線が非常に苦手であった。ある日、レストランでじろじろ見られ、顔を伏せがちになる自分がいた。不快な態度を示す私に、ビルはウインクしてこう言った。

” They are looking at me.”(みんなぼくのことを見ているんだよ。)

最初は冗談を言っているのだと思った。しかし、それが本当であると知ったのは、ビルと二人でビバリーヒルズのロデオドライブを歩いていたときだった。突然どこからともなくパパラッチがやってきてビルにカメラを向けた。それが連鎖反応して、私を押しのけて4,5人のパパラッチがビルを取り囲んだ。彼らはビルのことを古いムービースターか何かと思ったらしい。しかし、ビルは俳優でも有名でもないかった。彼は何かと人を引き付ける不思議な魅力があった。カリスマ性がある夫は、いつだって際立って見えた。そんな夫を私はいつも温かい目で見守っていた。

人というのは年老いていくものである。それは自然な流れで逆らえない。しかし、夫を見ていると、年をとるということは醜くなることでも弱っていくことでもなく、魅力的になることなのだと知った。夫には若者にはない本物の魅力があった。それは夫がただ長く生きてきたのではなく、いろんなことを通り抜けてきたからだ。皺は運命の生きざまとなって表れ、個性的な顔立ちになる。何を説明しなくても、存在そのものが生きた歴史となって、どこへ行ってもリスペクトされる。そして彼の決して人に好かれようとしない態度が、さらに人を魅了した。