アメリカ生活において、英語が話せないほどみじめなことはない。日本に住んでいた頃、人は私にこうアドバイスした。「アメリカに住めば英語は話せるようになるよ。」その言葉をうのみにしてアメリカに移り住んだが、一向に英語は上達しなかった。そもそもアメリカに住めば自動的に英語が話せるようになるなんてありえなかった。英語をまるでウイルスのように思っていた私は、そこに身をおけばうつるように英語がぺらぺらと話せるようになると思っていたのである。実際はいやでも身につけなければ生きていけないから、最終的には話せるようになるのである。問題なのは英語が話せてもアクセントは正せないということだ。私の英語はアメリカで言えばJAPANESE ENGLISHといって日本語なまりの英語である。だからアメリカ人にとって違和感のある独特な英語を話しているのである。最初の頃、私にとって英語は話すことよりも相手が話す英語を聞き取ることの方が困難であった。とくに電話での会話は最初の2,3年は聞き取れなかった。アメリカで英語が話せないと悟られると、見下されるのが落ちである。だから相手が話す英語が理解できなくても分かったような振りをするしかなかった。しかし、私のアクセントでアメリカ育ちではないとわかると、移民扱いされた。もちろん私は移民者である。しかし、アメリカで移民者とみられると、何かにつけて騙されるような、なんとなく疎外されたような気持ちになるのである。英語ほど子供の頃から身につけなければならないものはない。アメリカで生まれ育った日本人の話す英語と、日本で生まれ育ってアメリカに移り住んだ者の英語は違う。前者の英語はアメリカ人のアクセントで話す聞き障りのない英語なのである。その差から分かるように、英語力の違いはどれだけ長く習ったかではない、いつ身につけたかである。だからと言って今から英語を学ぼうとしている人を失望させるつもりはない。私のように30過ぎてアメリカに移住し、日常的な英語力は十分に身についたので、決してあきらめないでほしい。要はうまく話せるようになろうとするのではなく、伝わるようになればいいということである。まずは英語が話せないという恥かしさを取っ払うことである。どうせ通じないからとあきらめて英語を話すことを避けないことである。どんなに下手でもこれが私の英語だ!と開きなおるぐらいがちょうどいい。ビルと出会ってしばらく経っての頃、ビル以外のほとんどの人々が私の話す英語に理解できないことに気づいた。私は自分の英語力に自信をなくし、外で英語を話すことはおろか、人を避けるようになった。話すことはあっても手短に会話を終わらせたり、自信のなさから声も小さくなった。私の話す英語が通じないたびに落ち込む私を見て、ビルはこう言った。
“It’s not your problem. It’s their problem.”(それは君ではなく、君の英語がわからない者の問題だよ。)
さすが私の夫、どんなときだって世間の目とはかけ離れている。夫はいつだって私の未熟さをまるで私のきらめく何かとして見てきた。だから私は自分の弱点には何か意味があるのだと信じて克服してきた。自分の英語が通じないからと言って陰のように生きるのはまっぴらである。笑われてもいい。見下されてもい。躊躇な英語でも堂々としていようと思った。ビルは私に完璧な英語を求めたことなど一度もなかった。私の未熟な英語やアクセントを正そうともしなかった。変わらないアクセントは私の個性なのだとさえ言ってくれた。そうすると、人からこう言われるようになった。
“I like your accent. Are you Japanese?”(あなたの発音、いいね。日本人なの?)
私のアクセントは、私が誰であるかを発している。日本で生まれ育ったという歴史は二度と変わらないし、変えたくもない。これが私なのだ。