My JESUS

まず、私にとってのJESUSは、ハンサムである。そして絶対に私をひとりにさせない。私の弱さと不完全さをすべて知っていて、受け入れている。微笑んでいる。励ましている。いつだってどんな小さなことさえ聞いている。そして共に人生を歩んでいる。私を見守っている。そしてわたしのことを信じている。それが夫が紹介してくれたJESUSである。

Bed Roomに飾ってあるJESUSのポスターは、毎朝の目の保養になる。嵐の中に凛と佇み、さらっさらの髪の毛を靡かせて、瞳はきらきらで、しかも水の上を歩いているのだからうっとりせずにはいられない。そのポスターとの出会いは、家具を寄付したときに見つけたものである。それはまるで私に発見されるのを待っていたかのようだった。誰かが寄付したときに落としたのか、額縁は割れていて、粉々になったガラスの下にそのポスターは埋もれていて、捨てられた状態にあった。私と夫はそのポスターを持って帰って、きれいな額縁に入れて壁に飾った。ちょうど’部屋の模様替えをしていたときだったときで、そのポスターは新しい家具にまさに似合っていたのだ。そのポスターとの出会いも私がそれまでに抱いていたJESUSのイメージを覆したきっかけでもある。更に身近に感じた。まるでJESUSが私に手を差し伸べているように、私とコミュニケーションをとりたがっているように思えた。それはひとりひとりの人生に価値があるように、ひとりひとりにDestinyがあるように、自分自身とGODのたったひとつだけのリレーションシップ。首にクロスを飾っているからといってGODとのリレーションシップがあるとは限らない。親がクリスチャンだからといって自動的にGODとのリレーションシップがやってくるわけでもない。ひとりひとりに語り掛けられるパーソナルリレーションシップ。それはいろんな形で私のもとへ届けられていくことになった。