DEVINE APPOINTMENTS

正直言って、日本に住んでいたときの私は、自分の人生にもがいていた。あの頃の私はGODという存在があるとは信じていたものの、リレーションシップがなかったため、何でもひとりで戦うようにして生きてきた。もちろん、人を信じない、だから自分に対しても信じる力などなかった。希望や夢がだんだんと狭まれてリミットされる中、夢を思い描くことは難しかった。無気力になったりもした。漠然とした不安もあった。人生の時間を無駄にしているような気がして、早く何かを得なければと焦りがあった。街角で流れる勇気が沸くような音楽を聴いたり、その手の本を読み漁ったりしてモチベーションを上げたりもした。しかし、何もかもテンポラリーでしかなかった。世間が売り出すものや、世界のシステムではこの渇きを潤すことは絶対になかった。しかし、この渇きを追求することをあきらめたことはなかった。うっすらとではあるが、その渇きの中に一筋の光が射していた。そんな中、夫と出会った。夫は私と違って自由だった。ここでいう自由とは、自分らしさが翼を十分にひろげているということだ。その自由の風についていくように夫に惹かれた。そして夫は私にだけやさしかった。私のネガティブさをいつだって受け入れて、包み込んでくれた。夫と出会えたのは運命でしかなかった。実は夫とあのベンチで出会う直前、私は夢を見た。その日は日曜日で、お昼から異様に眠くなり、ベッドでうとうとしていたら、突然目の前に時計が見えた。それは1:49を指していた。その後、私はなんだか散歩したくなり、あのベンチへ行ったときに、夫が現れた。見事に1:49PM だったのである。まるで場所や時間がすべてコーディネートされているかのようだった。だからと言ってすべての夢やビジョンがGODからであるというわけではない。あの日以来、出会った日を記念日として毎年そのベンチを訪れ、思い出を語りあった。もし、あのとき私があのベンチへ行かなかったら、もし、夫があのベンチに立ち寄らなかったら、私たちは出会っていなかった。そして素晴らしい道のりを共に歩むことも、人を愛するということも、JESUSを知ることもなかったのである。タイミングは、人の力ではコントロールできない。タイミングが良かったことを世間では、”GOOD LUCK.” つまり幸運と言うが、その幸運を運んでくるのはGOD である。

”He has made everything beautiful in its time……… ”    Ecclesiastes 3:11