わたしはだれ? ここはどこ?

JESUS を知らなかった私は、自分の能力やキャリア、コネクションが自分の identityだと思っていた。既にGODから prove されているという崩れようのない土台 (Jesus’ finished work) がなかった私は、他人の反応による受け入れ度のメージャーによって自分の identityを確立させるしかなかった。しかし、それは長く続かない。なぜならそれは foundation のない家を建てているようなものだったからだ。美しい窓やドアを付け加えるが、世間の風が吹くとぺしゃんと崩れ落ち、何もないところに立ちはだかる自分が ”わたしはだれ?ここはどこ?”と混乱し始める。GODを押しのけて、自分だけでのし上がった世界はプライドの高さを意味するがゆえに、孤独である。変化や他者をなかなか受け入れることができないばかりか、比べるがゆえに、立ち直りが遅い。そんな自分は人に prove されることで懸命だったのに、人は冷たい。そう、人や世界といった横を見るとキリがなく自分の identity は不確かになった。しかし、見上げるとそこには無条件で自分を受け入れている愛がある。なぜなら JESUS!(Jesus’s finished work)が架け橋となって繋がった強い親子関係がある。その大きな存在が私を創造したわけであるから、私が誰であるかを知っている彼へ訊くべきである。それはBIBLEで書かれているように(GOD’s  Word)、確たる約束である。

“I am a Child of God. ”  私は神の子である。~ “But to all who did receive him, who believed in his name, he gave the right to become children of God,”    John 1:12

 ” For you are all sons of God through faith in Christ Jesus. ”       Galatians 3:26 ~

クロスだけが私がどんなに受け入れられているかの永遠なる証。JESUSがクロスで私にくれた彼のrighteousを通して GOD は私を見ているのだ。私の古い identity がクロスでexchangeされたように私の新しい identityとして生きていくことになる。BIBLE に書かれてるように、born again が必要なのである。それは今まで罪に落ちたアダムとイブの血筋で生きていた私が、罪を償ったJESUSの血筋で生きていくように、GODとの親子関係が始まるのだ。

” And I will be a father to you, and you shall be sons and daughters to me, says the Lord Almighty. ”

2 Corinthians 6:18