SURPRISE! 

ビルほどに”SURPRISE!”が下手な男はなかった。毎年クリスマスが近くなると、夫はガレージにこっそり隠れてプレゼントをラッピングしていたことを私は知っていた。それらをガレージの棚や車のトランクに隠していたことも私は知っていた。クリスマスになると夫は夜明け前にこっそりと起き出して、サンタクロースの如くクリスマスツリーの下にプレゼントを置き並べていた。それを知らない振りをすることの方がたいへんであった。毎年クリスマスの朝になると、クリスマスツリーの下には夫なりに不器用にラッピングされたプレゼントが置かれていた。夫と出会う前の私はSURPRISEをされたことがなかったため、最初はどう反応してよいのかわからなかった。私の場合、飛び上がるように嬉しさを表現することはなかったが、夫の私を喜ばせたいというその純粋なる気持ちがうれしかった。それはまさに永遠に輝く宝石のように心の中できらめく、忘れられない思い出である。

しかし、そんな夫も私を”SURPRISE!”させたことがあった。それは私たちの愛犬PINKが天国へかえった翌日のことだった。夫と私はPINKのことが愛しくてたまらなかった。家のどこを見渡しても彼女の面影が残っていて、今にもひょっこりと廊下から現れそうで、本当に彼女がいってしまったという事実との葛藤の中、どうしようもなかった。写真を見ると胸が熱くなって、ただ泣くばかりでだった。彼女をぎゅっと抱きしめてあげたいが、それができない。死別は生きている私たちにとって実に過酷である。胸が引き裂かれる中、私は叫んだ。”BUT, GOD. I HAVE JESUS!”

するとその日の午後、可愛らしいミニ薔薇の花が家に送られてきた。特別な日でもないのに、なぜ花が?と思ったが、夫がSURPRISEで送ったのだろうと思いながら花に添えられたカードを見てびっくり!送り主の名は”PINK”。もちろん夫の手書きであった。心がはらっとなり、涙がどよどよ流れて止まらなかった。その花は夫からであったのは分かっていたが、天国にいるPINKから送られてきたようにしか思えなかった。GOD は夫を通して私を励ましていたのだ。私の家族である PINK は天国にいるから大丈夫だと。私たち家族にはしっかりと受け取ってくれる大きな手があるのだと。そのとき初めて私は PINK がJESUS の腕の中にしっかりと抱えられて天国に向かう姿を思い浮かべた。彼の腕の中なら絶対に大丈夫だと感じたとき、GODは犬や猫を通してさえも彼の愛の偉大さと真実を私に教えているのだと思った。それは心の空洞にすとんと届かれたギフトとしか言いようがないほど、夫のSURPRISE!は、天国が本当に存在するというunderstanding heart 、つまり言葉では説明できない確信であり、ただ心が知っているのである。真実を知るということは、まるで暗闇に初めて光が射したかのように、明らかになる。人生には発見されるべき事実が待っている。その事実を信じられたとき、それは真実となって私の人生を確実に変えていったのである。

“No one has ever gone into heaven expect the one who came from heaven – the Son of Man.”   John 3:13