Happy wife, Happy life

ビルほど真っ赤な薔薇の花束が似合う男はいなかった。時別な記念日以外でも、何か良いことがあるたびに、夫は私に真っ赤な薔薇の花束を買ってきてくれた。何か良いこと、と言っても大層なことではなく、日常的な些細な喜びである。夫はどんな小さな幸せも、私とシェアしたがっていた。しかし、本当の理由は真っ赤な薔薇の花束を受け取った瞬間のぱっとする私の笑顔が見たいがためであったと教えてくれたのは、ずいぶん後になってのことだった。私の笑顔はすべてのストレスを忘れさせてくれると言った。夫が天国に逝ってしまった今、私はもっと笑顔を見せてあげればよかったと後悔するばかりである。どんなにつらいときでも、笑顔を見せることはできたのに。うれしいときだけ笑顔を見せるなんて、宝の持ちぐされであった。笑顔こそが妻の最高のギフトである。どの夫もそれを望んでいる。日本だと妻が笑顔を見せても、何の反応も返してくれないときもあるだろう。更にむっつりされることもあるだろう。それでも笑顔を増やしていけば、必ずあなたの夫の心は解されてくる。

薔薇を買ってくるのに理由がいらないように、妻が笑顔を見せるのに理由はいらない。不満になる理由はいくらでもある。不満は他と比べることから生まれる。テレビや雑誌やメディアに踊らされている人ほど、不満のある人生はない。今のメディアは架空の世界であり、そこに現実性はあっても真実はほとんどない。メディアだけでなく、友人や近所の人たちといった他人の夫と比べると、不満は生まれてくる。夫が逝ってしまった私にとって何でもない生活が、どれだけ幸せだっただろうと思う毎日である。朝起きて犬を庭に連れて行く間、夫も起きてきてキッチンでコーヒーをつくっている朝の始まりはもう戻ってこない。猫に餌をあげている夫のやさしい顔ももう見れない。ミーティングへ行ってくるよと頬にするキス、テレビを見ているときや運転しているときに、私の手を握ってくれてた夫の手のぬくもり。私はどれだけ幸せであっただろう。愛されるより、愛したかった。ビルが真っ赤な薔薇の花束を抱えて帰ってくる姿がまるで昨日のように感じる。私よりも夫の方が遥かに真っ赤な薔薇が似合っていた。

ビルはよくこう言っていた。”Happy wife, Happy life.” 「幸せな妻がいるところに、幸せはやってくる」

その意味が今よくわかる。妻が笑顔(ギフト)を最大に生かしているところに、幸せはやってくるのだ。