自然の秘訣

もし誰かがあなたに、「不安になる方法を教えてください」とか「お金を一気に遣い果たす方法を教えてください」とか訊いてきたら、あなたは必ず先生になれるはずである。

次のようなセミナーがあったら、あなたは参加するだろうか。「心配する方法」「お金を一気に遣い果たす方法」「ストレスを3倍に増やす方法」もしくは本屋にて、「不安になる方法」「怖れる方法」「収入を減らす方法」「人に嫌われる方法」といったジャンルはあるだろうか、もちろんあるわけがない。そんなことは教えられなくても、普通に生きていれば誰に教わることなく嫌でも知ることである。地球に重力があるように、自ら方向を変えなければ、自然とネガティブな方へ流れるようになっているのである。これが私たちが生きている自然(ナチュラル)の世界なのである。不安、心配、怖れを感じて当然なのである。だからといってこの世界を嘆くのは実に時間の無駄である。あきらめるのではなく、自分が生きている世界をまず知ることである。

ビルはよくこう言っていた。”Enjoy life.” ビルと出会うまでの私は、自分が抱えている問題が解決するまで、もしくはパーフェクトな状況がやってくるまで楽しむということを引き延ばしにしていた。しかし、パーフェクトな状況というのはやってこなかった。いつだって何かしら気に障るようなことはあるし、何もない日常の中に私の気を落とすような要因はうようよしていた。それらがなくなるまで楽しむことなんてできないと思っていた。しかし、どんな真っ暗闇な状況でも楽しむということを夫から学んだ。生きていればやりきれないことがある。自分だけではどうしようもないことが起こることがある。どんな状況の中でも彼のユーモアは絶えなかった。「えっ、こんなときに?」というような最悪な状況でぴったりのジョークを言う彼は人を笑わせようとしていないだけに、しょうもなくウケた。こんなときにこんなことを言えるのはビルしかいないと、緊張で凝り固まった私の心にふいをついたかのようにふっと力が抜け、なんでこんなことで取り乱していたのだろうと本来の自分に戻れた。どんな状況でも楽しむ姿勢を崩さない夫。物事を客観的に見れる器の大きな男にしかできないことだ。

楽しむというのは、目の前にある問題に楽しみを奪われないことである。地球の重力に反するように自ら方向を変えるしかないのである。楽しむと不思議なもので問題が小さく見えてくる。問題というのは、どうやら楽しんでいる心には長く滞在できないようだ。日本で育った私にとって問題があるときに笑っていたりリラックスしていたりすると不真面目だと咎められるという思いがあり、どうにかしなければと表情は真剣になる。真剣な顔というのは恐い顔である。そんな怖い顔でいられたら周囲はもっとぴりぴりになり、ジョークなんて誰も言えたものではない。世間はいつだって私にもっと真剣に、もっとまじめに取り組んでほしいと迫ってくるが、どうしようもないことを自分でこね繰り回すほど、更に深みに落ちて身動きとれなくなるものである。やたらと人の意見を聞きまくったり、メディアに出てくる有名な人の言葉を真に受けたり、どうにかしようとすればするほどうそをつかなければならなくなったりして、解決していたつもりが更に困難に複雑になってもっと時間が掛かったりもした。アメリカにきてからも同じパターンに陥る私にビルはこう言った。

“If you hurry, more cost.” (焦ると高くつくよ。)