ビルほどに口のうまい男はいなかった。ビルと私の年齢の差が大きいことは巷では有名であるが、ビルほどに年齢をごまかした者はいなかった。出会った当初、夫は私に本当の年齢を言わなかった。理由は本当の年齢を言うと私が引いてしまって二度と会ってくれなくなるのではないかという恐れからであった。もちろん後になって、年齢を偽ったことについて口論になった。しかし、ビルは全く詫びる態度は見せずに頑固としてウソをついていないと言い張った。あのときの会話をもう一度思い出してごらんと言われ、私ははっとなった。誤解を招いた会話はこうだった。
” How old are you?”(ビルは何歳なの?)
“what do you think?”(何歳に見える?)
“**?” (**歳?)
“OK.”
夫はOKと言っただけで、否定はしていない。うそはついていないが、真実は言っていなかった。私が推測した年齢に否定しなかったため、それが彼の年齢だと思っていたのだ。日本で育った私にとって、アメリカ白人の見た目の年齢なんて検討もつかなかった。オッケーと言われたものだから、それが彼の年齢なのだと思ってしまったのだ。あのときの会話を思い出し、そうね、確かにうそはついていなかったよね、と私の方が謝りそうになったぐらいである。しかし、それが彼の口実のうまさで、自分が悪いのになぜか被った相手に原因があるような、簡単に言えば人のせいにするのが天下一品であった。本当の年齢を言われたところで私の夫に対する愛情は変わりはしない。しかし、なんだか騙されたようでショックだった。こんなことだから、この人は幾度となくウソをつくだろう、と先が思いやられた。しかし、それでも私はゆるすことを選ぶだろう。彼そのものを受け入れたのは、彼のうそが始まりだった。彼の年齢を変えられないように、私には人を変えることができない。受け入れることで変わることがある。一度もうそをついたことがない人を探す方がもっと困難である。
そんな私達を見ての周囲の反応は、言うまでもない。大きな年齢差から偽装結婚ではないかと思われることはもちろんあった。私は結婚すると同時にグリーンカード(アメリカ移住権)を申請しなければならなかった。グリーンカードを取得する際、書類手続きと面接がある。面接でグリーンカード目的の偽装結婚の疑いを掛けられるのではないかと不安になった。移民専門の弁護士を雇った方がいいのだろうかとか、他のケースはどうなのだろうかとインターネットで一日中検索したりする私に夫はこう言った。僕たちの結婚は本物なのだから、堂々としていればいい。僕たちの結婚に疑いを掛ける者に問題がある。僕たちの結婚を偽装というのなら、その面接官は真実を見抜く目がない失格者であるとまで言い張った。
彼の言葉に不安や恐れは吹っ飛んだ、と言ってもいざ面接の日、私は完全に落ち着きをなくした。移民局にある面接会場は、誰もが緊張感に満ちていた。そんな中、ビルだけがリラックスしていた。そわそわする私に夫は言った。
“Relax.”( リラックス)
いざ面接官に呼ばれると、私達はなぜか別室に入れられた。ほらね、やっぱり疑われてる。弁護士連れてくるべきだった。など頭の中が後悔と恐れで真っ白になった。面接官が何を言っているのかさえ分からなくなった。質問されて何も答えない私に、ビルは咄嗟に私の手を握りしめた。隣でビルは微笑んでいた。緊張がふっと解けたと同時に涙がほろっと出た。面接官の前でおいおいと泣き出してしまったのである。おかげでほとんどの質問に答えられなかった。そのため手短に終了。しかし、真実は何を語らなくとも伝わるものである。数週間後、グリーンカードが送られてきた。