ビルほどに喋る男はいなかった。だから夫が一日中黙っていると熱でもあるのではないかと、かえって心配になった。熱がなければ血圧を測ったり血糖値をチェックしたりして、異常がないことを確かめた。彼にとって喋るということは健康である証拠の一部であったからだ。何を喋っているかというと、ほとんどが過去のことである。要するに昔の話をするのが好きであった。誰にも言えなかったことが年をとれば言えることがある。人というのは秘密を保てない生き物のようで、体のどこにも秘密を蓄える場所などないのだろう。忘れるか、いつかは口から飛び出してくるものなのかもしれない。だから私はどうでもいい人に「誰にも言わないでね。」と切り出されると、「じゃあ、私にも言わないでね。」と秘密を受け取らないようにしている。大抵の秘密は、私にとって知らなかった方がよかったと思うことが多いし、誰にも言ってはいけないという重大責任を負わされる必要はないし、忘れることが難しい。私にとって夫の昔話を一日中聞かされるのは少しも苦痛ではなかった。ムスッとした顔で一日中黙っていられる人よりもましである。率直に言えなくてぶつぶつとつぶやかされる人よりもましである。そもそも言葉として表現できない人のほとんどが態度で表してくるので、そのような人に対して私はどうしてよいのかわからない。しかし、夫は言葉として表現してくれたので、非常にわかりやすかった。忙しい夫にとって喋るということは、ストレスを解消することであり、健康を保つのに必要なことだった。若かりし日々の夫は、ワイルドな一匹狼のように常に群れを離れていた。夫の型にはまらない生き方が私にとっては新鮮だった。母国が違うため流暢な英語で会話はできないが、私には聞くということができた。私が夫の話を聞くことにより、夫の過去話は思い出となり、私の中で引き継がれている。長く生きていれば、過去話が多くなるのは当然である。ときに彼は昔のことを思い出して目に涙をにじませることがあった。どの人生にもつらい過去、やりきれない悲しみや、どうしようもない過去がある。夫が私に話すことで、過去が思い出という額縁におさまり、心のどこかに飾られる。その額縁を美しいものにするかは、私の聞きしだいであったように思う。それが妻である私の役目であったのだろう。過去の怒りは許しという額縁におさまり、過去の悲しみは癒しという額縁におさまる。額縁におさまった過去は、思い出となり、色あせることはあっても、きらめき続ける。それを眺めることが懐かしむということなのだろう。