GOD がどんなに万能かを実際に知らなかった私は、GODよりも問題の大きさを重視していた。私は夫とは違い、何か問題が起きるたびにどうにかしなければともがいたり、おろおろしたり、抱える問題で頭がいっぱいになり、心の余裕はなくなっていった。問題が私の中で強く大きくなるほど、表情や態度となって現れる。それが周囲に影響を与え、更に不安なる状況をつくりだしていた。そんな私に夫はこう言った。
“Nothing is too hard for GOD.”(GODにとって難しいことは何もないさ。)
夫にとって問題がどんなに大きいかではなく、自分のGODがどんなに大きいかであった。しかし、私にはどうしてもGODが私の問題を解決しているようには思えなかった。むしろ私が抱える問題のことなど関心すらないとしか思えなかった。何か問題が起きるたびに見放されているとしか思えず、最初からあてにもしていなかったように思う。だから自分でどうにかするしかないとがむしゃらになり、GODの助けの手を退けてきた。それが強くなることだと思っていた。私はGODに怒りさえ感じていたように思う。しかし、夫とGODの間にはPEACE的なリレーションシップがあった。それは何かが起きても何も感じない無神経さではなく、自分は完全にGODに受け入れられ愛されているというそのポジションを、抱えている問題に奪われないことに集中していた。そのポジションとは、”I am the righteousness of GOD in Christ.”(私の義はキリストの義である)だからすべての心配をGODの手に委ねることができるという信頼関係。夫の信頼は人や誰かの意見や巷の情報ではなく、JESUSにあった。そして解決法を彼から受け取っていた。
GODとのリレーションシップがなかった頃の私は、将来に対して非常に不安があった。だからこれさえあれば安心といったものを試したこともある。世の中には安心を売りにした情報はあふれかえっている。しかし、どんなに高い安心の壁を囲んでも、私は安心 (Rest in Hope) を得ることはなかった。なぜなら、問題があるたびに、私が積み上げた安心の壁は見事に崩れ落ちたからだ。安心は壁のように囲むものではない。そして過去と同じ解決法がいつだって適するとは限らない。問題はいつだって違った形でやってくる。それが人生のチャレンジだからだ。どうやら人生はGOD なしではうまくいかないようになっているらしい。
“Ah, Lord GOD! It is you who have made the heavens and the earth by your great power and by your outstretched arm! Nothing is too hard for you.” Jeremiah 32:17 ESV