ビルほどに imperfect で、JESUSを perfect にみている男はいなかった。夫がJESUSを通して見ていた世界は、What I can do ではなく、 What GOD can do. クリスチャンは気まぐれのポジティブ思考ではなかった。私は長いこと misrepresenting されたGODを自分なりに勝手に描き思い込んでいたようだった。JESUS を知る前の私は、災害に遭遇する度に、”神の怒りだ~”とパニックになっていた。しかし、今は私を災いから守ってくれる存在になったのである (Psalm 91)。病気に掛かるたびに、”神が私を懲らしめてるのだ~”と気落ちしていたのが、今は私を癒す存在になったのである ( “by His stripes, we are healed” Isaiah 53:5 )。何か悪いことが起こるたびに、”恐ろしや~”と 自ら創り上げた恐い神を通した目で世界を見ていたのである。しかし、災害や病気や困難から救うのが神の役目なのである。自分の愛する息子 JESUS をあきらめてさえも私たちを救ってくれた愛を知ってから( John 3:16 )、世界は全く変わってきたのである。真実を知れば自由になるように、それまで目の前を覆っていたヴェールが風にふわりと舞い上がり、それまで隠されていた明るい未来が見える。不安が安心へ、怖れが愛へ、そして悲しみが歓びへと癒され導かれていく。JESUS を知れば知るほど、GOD の愛は明かされていく。その愛は、受け取れば受け取るほど洗い流されるように溢れるていくことを知った。それが夫の何気ないやさしさや大らかさにリフレクトしていたことに気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。要するに私は、自分の悪いところだけを見ている神を通して世界を見ていたため、私の心は sin – conscious でいっぱいだったのである。しかし、JESUSが私のSINを身代わりになって被った、その真実を受け入れたため、GOD は JESUS の righteous を通して私を見ているという Christ – conscious。 JESUS を通して完全に赦されているという証が、GOD との健康的な sweet リレーションシップが始められることとなった。万能なる存在である GOD と共ならば、可能なことは広がるばかりだった。
Jesus looked at them and said, “With man this is impossible, but with God all things are possible.” Matthew 19:26 (NIV)