LET SPIRIT LEAD

JESUS を受け入れた心に宿る HOLY SPIRIT にリードされる人生。それは今までとは全く違う生き方になる。Christian になったからと言って、自動的に HOLY SPIRIT にリードされるわけではない。GOD は私たちをロボットではなく、人間として創造されたため、自由選択は私たちに与えられている。自分の心にHOLY SPIRIT を100% 占有させるかどうかは、私たちしだいである。私は Christian になったにも関わらず、HOLY SPIRIT のリードを無視して長いこと生きてきた。古いワインスキンに新しいワインを注ぐと破裂してしまうように ( Matthew 9:17 )、古い自分のやり方 (My way) を手放さない限り、GOD が準備している道はなかなか前へと進めなかった。なぜならば、その HOLY SPIRIT のガイドというのは通常に生きていれば見逃してしまうぐらい小さな prompting であるからだ。もちろん私たちの身体である耳に話しかけるわけではない。スピリットであるわけだから心に催促するのだが、決して強制はしない。だからこそ”どうでもいいこと”とか”気のせい”として無視してしまうのである。例えば先日のことだった。私はなぜだかわからないが、地元の所謂保健所、アニマルシェルターに行った方がよさそうな気がしたのである。しかもなぜだかわからないが、お昼の noon time にそこへ辿り着いた方がよいことさえ心が知っていた。従うかどうかは、私の決断である。頭で考えれば、外は暑くなってきたし、できれば涼しいうちの朝に済ませたいのだが、心はそうは言っていない。何も用事はないのに行くのも時間の無駄のように思えるが、微かながらに心はそこへ既に向かおうとしていた。私は SPIRIT に従うことに決めた。最初にスーパーマーケットに立ち寄った後、アニマルシェルターに辿り着いたのは、見事にお昼時間だった。そこの駐車場にはひとりの女性とケージに入った子猫がいた。子猫が入っているケージは直射日光が当たっていて、見るからに彼女が動物に対してケアレスであることを意味していた。彼女は彼女の飼っている猫が子猫を生み、その中の1匹は引き取り手がなかったため、最終的に保健所であるアニマルシェルターに明け渡すことにしたらしいのだが、 COVID の影響で中に入れるのに人数制限があるため、外で呼ばれるのを待っていることを私に話した。子猫を見ると生後4週間以下であることが分かった。私は長い間、動物保護のボランティアをしているため、この子猫が違う場所へ行こうとしていることを悟った。子猫シーズンになるとアニマルシェルターには一日にたくさんの子猫が運ばれてくる。フォスターケアをしてくれるボランティアは足りなくなってくる。しかも4週間以下となると母猫のケアが必要であるという理由で安楽死させられてしまう状況を見てきた。私はそこで働いている人たちを非難しているわけでは決してない。彼らはベストを尽くしていることを知っている。しかし、ミルクケアは4時間ごとに与えなければならなく、従業員の数とスペースとボランティアにはリミットがある。このまま放置されればこの子猫の未来は明るくはない。私は心の中で祈った。どうかこの子猫が直ちに正しい手にいくように。そのときだった。”This kitten is exactly what I wanted!”「この子猫こそが、私が探し求めていたもの!」 振り返ると、そこにはメキシコ人の母娘がいた。彼女らはここで一時保管されている子猫をアダプトしようと下見にやってきたばかりで、この子猫がまさに娘がイメージしていたのだと言った。彼女らは即座にこのオーナーから引き取ることにした。しかし、この子猫のオーナーは、この子猫から免れたかったにも関わらず、使い古されたケージ代として25ドルをメキシコ人母娘に要求していた。彼女らの手元には20ドルしかなかったため、残りの5ドルは私が払うことを申し出て、子猫のオーナーに10ドル札を渡した。しかし、渡されたおつりは4ドルだった。そんなことより、私の祈りが即座に叶えられて、この子猫が安全な正しい手へ渡ったことがうれしかった。メキシコ人母娘にミルケアを説明し、すべては GOD の手の中で起きたこと、そしてこの子猫はあなたのために創造されて意味があって手渡されたこと。動物を助けることによって、GOD は私の心を JESUS のように unselfish love に導いたなどを分かちあった。そして自分の車に戻り、私の心は満足感で溢れかえっていたときだった。あの子猫の前オーナーが私の車の窓を叩いた。手にしていたのは、1ドル札。彼女は私に返していなかった1ドル札を渡したが、私は断った。しかし、彼女は断固として譲らなかった。彼女は車の中で私たちの会話を聞いていたのだろう。彼女のぶっきら棒な表情にやわらかさがあり、笑顔さえもあった。そして彼女は、これからは自分の猫は責任をもって避妊手術をして世話をすることなどを私に話始めた。私は彼女の変わりように驚いた、そのときだった。私の HOLY SPIRIT がこう言ったような気がしたのだ。

” This is true repentance.”  法でもない、モラルでもない。GOD の愛が悔い改めへと導くのだと。GOD はこの駐車場で出会った人たちや子猫の必要性を満たしただけではなく、私に教えるためにセッティングしていたのだ。GOD の愛をシェアしたところには、ミラクルがやってくるとでもいうように。

” Whoever keeps a command will know no evil thing, and the wise heart will know the proper time and the just way. For there is a time and a way for everything, although man’s trouble lies heavy on him. For he does not know what is to be, for who can tell him how it will be?” Ecclesiastes 8: 5-7 (ESV)