PERFECT FRIEND

ビルにとって JESUS が BEST FRIEND ならば、私にとって JESUS は PERFECT FRIEND と言えよう。何があろうとも変わることのない存在、完璧な愛、知恵、真実を知っている万能なる彼に何事も真っ先に尋ねないわけにはいかない。私にとって欠くことのできない空気のような存在であり、私のことを良いところも悪いところもすべて誰よりも知っていて、決して手放さない、あきらめない保証付き。彼を知らなかった私は、自分の限りある中で懸命になって運命を切り開こうと必死になっていた。それに無駄があったわけではない。たどり着いた先には JESUS がいたからだ。私は彼の差しのべた手を受けとることを選んだとき、運命は切り開くよりも、受け取ることに変わったのである。どう切り開くかもがいていた私は、GOD という存在があるとは多少わかっていても、JESUS を通してのリレーションシップではなかったため、自分の力だけを頼りにした自己主義、つまりSELF RIGHTEOUS だったため、自分の高潔さに自信を置くしかなかった。それはハンブルではなくて、プライドを意味していた。受け取るということは、私をハンブルにした。私は人に対して下手にとることがハンブルだと思っていた。しかし、本来のハンブルとは GODに人生のセンターを譲ることであった。自分の人生の  BOSS は GOD であり、GOD のプランを生きることこそが運命であり、それを生きられるということこそが、まさにサクセスである。サクセスとは何を持っているかではなく、誰を持っているか。PERFECT FRIEND を持っている私は、がむしゃらに生きる必要はなくなり、JESUS を通して受け取るように生きれるようになったのである。受け取ったからには感謝せずにはいられない。受け取ったものは、他にも与えることができる。受け取ることは、私を GIVER にした。外界によって自分が誰であるかを測ることはなく(I AM WHO GOD SAYS I AM )、自分が愛されているという測度を外界ではなく、クロス( The cross is everlasting proof of GOD’s love )で確認することができる。つまり、GOD の愛を状況や他人によって判断することはなくなったのである。その受け取った愛が外へとあふれ出し、愛に満ちた人間関係が築かれていくように、世界は変わってきた。その内側にある渇きは、人の愛では潤わない。GOD のみが潤うことができる溝がある。外界によって満たされる愛ではなく、内にある愛で満たされるようになっているため、外にその渇きを求めるたびに更に溝が深くなっていく。生まれたときから私の中にあった溝の型にぴたりとおさまるパズルのかけら、それはクロスだったのである。

“No longer do I call you servants, for the servant does not know what his master is doing; but I have called you friends, for all that I have heard from my Father I have made known to you.” John 15:15 (ESV)