自分らしく生きるには、多少嫌われるぐらいがちょうどいい。

ビルは誰とでも友達になれるが、実際にいる友達は非常に少なかった。夫は誰にでも初めから心を開くものだから一緒にいる私の方が警戒していたぐらいだ。私はもともと人を信用していなかったので、最初から他人に対して心を開ける夫を見て、うらやましいとさえ思った。夫は自分勝手のように見えるが不思議と憎めないキャラクターをもっていた。それがビルなのだとすとんと受け入れてしまう。それを素直な人と言うのかはわからないが、夫ほどにあやふやな態度ができない人はいなかった。好意のある振りをするよりも、気に入らないとはっきり言う夫。好かれようとするより、さっさと立ち去る夫。

“Be yourself, rather than being liked by everyone.”(皆から好かれるより、自分らしく。)

まず、皆に好かれる気に入られる責任は、自分にはないということ。誰からも気に入られたいとか好かれたいという欲望がある限り、周囲の反応や感情、言葉によって左右される狭い世界の中で生きなければならなくなる。どんなに良いことをしても、最後には嫌われた経験をしたことはよくあるように、どんなに素晴らしいことを書いても全く同感しない人はいる。どんなに素晴らしいことを言っても、全く伝わらない人がいる。どんなにがんばっても努力しても、拒絶されることは当然ある。どんなに気に入られようとしても、自分のことを気に食わない者は出現する。自分の運命を生きていたら、ときに思い切った決断や行動をしなければならないことがある。だから受け入れられなくて大いに結構。自分らしく生きるということは、多少嫌われるぐらいでちょうどいいのである。ポイントは、誰に受け入れられようとしているかである。夫はいつだってこう言っていた。

“I am accepted and approved by GOD.”(ぼくはGOD から受け入れられ、認められている。)

だから誰にも自分の良さを立証しなくてもいいと言っているかのようだった。社会は世間と同じ色に染めようとする傾向がある。しかし、その色に馴染めないのならば嫌われることは承知で生きていかなければならない。世の中はあるがままに生きられるほどやさしく寛容ではない。しかし、GODはあるがままのあなたを受け入れている。夫は言った。

“There is nothing higher. It is a better acceptance than any powerful position.”(最高の存在から認められていればこの上ない。)

GODがあなたを創造したのであって、あなたのことを拒絶したその人さえGODから創造された人物である。どんな有名な人物から味方されるよりもはるかに心強い存在である。

“If God is for us, who can be against us?”(Romans 8:31)