PINK

ビルほどに動物に対してやさしい男はいなかった。正直言って、人よりも動物にやさしかった。夫と出会ってすぐに私たちは犬を飼うことにした。それまでの私は、ペットショップに売ってあるようなブランド犬を飼うつもりでいた。しかし、ある日、夫がローカルのAnimal Shelterへ私を連れて行ってくれた。そこにはホームレスの犬や猫たちが狭い檻の中で不安げなまなざしで私を見つめていた。捨てられたり、飼い主に見放されたりした動物たちが誰かに引き取られるのを待っていたのである。私のブランド犬が欲しいという欲望が消え、シェルターにいる犬や猫たちを助けたいという欲望が芽生えたのである。そんな中、檻の隅で人目を避けるようにしてうずくまっていた犬を見かけた。どんな過去があったのか、檻の外に出すとがたがたと震えだした。撫でてあげると、震えながらも彼女の顔つきがやらわかになったのを覚えている。迷う間もなくその子を引き取り、彼女の名を”PINK”となずけた。その日を境に私は あらゆるAnimal Rescue にたずさわるようになった。 ボランティアで犬や猫のADAPTION(里親さがし)を手伝ったりすることはかえって楽しいもので、満足感があった。動物というのは不思議なもので、飼い主を選ぶものであると気づいたことがある。先日も子猫のADAPTIONのイベントにボランティアで参加したとき、それまでそっぽを向いて眠っていた子猫が、ある人物がやって来た途端に起きてアピールしたり、まるでその人がやって来るのを知っていて待っていたかのように振舞うのを何ども見かけた。捨てられた犬猫たちをかわいそうだと思う哀れな気持ちで手伝うより、犬猫たちを安全で信頼できるGODの手に委ねた安心から手伝うと、ほとんどが良い飼い主に’引き取られていくのを何度も見かけた。GOD がタイミングを運んでくるように、RIGHT PEOPLEはやってきたのである。動物はGODが創造した彼からのギフトである。PINK は、私たちの生活にたくさんの笑顔とJOYを運んでくれた。彼女は今、夫と共に天国にいるが、共に過ごした12年間はかけがえのないものだった。なぜ動物がGOD からのギフトであるかというと、飼ってみればわかるものである。私は夫と出会ったとき、時計のビジョンを見たことを以前に書いたが(だからといってすべての夢やビジョンがGODからだというわけではない)、PINK が天国へ行く前、時計の針の音で夜中に目を覚ましたのである。目が覚めるとその時計の針のような音は聞こえなかったが、それはPINK から聞こえていたような気がした。そのとき、不思議と彼女が天国(GODのもとへ)へ帰る時間がきたのだと悟った。その晩まで彼女は普通どおりに元気で食べ物も十分に食べ、いつも通りのはしゃいだ日常だった。しかし、時計の音がまるで私に、GODが定めた時間がきたのだと教えているみたいだった。その日の朝、彼女は主人の腕の中でJESUSと共に天国へいった。病気など一度もしたことがなく、老犬のわりには元気で、最後はちゃんとさよならを言う時間を与えられた In His time。なぜPINK と主人が天国へいると確信しているかというと、それは私のイマジネーションでも思い込みでもなく、BIBLEに書かれているからである。JESUSを信じている私にPINKは属しているのだからGOD のもとにいる、となぜか心が知っているのである。それは言葉という限りのある表現では説明できないものであり、その[なぜか知っている」という感覚は、私とGODの間にある確信、つまり彼とのリレーションシップである。BIBLE が長い間語り継がれているのも意味がある。おとぎ話のようだが、そこに真実があるからこそ、何千年も語られ守られ生き続けているのである。事実は証明されるが、真実は発見されるためにあるのだ。

“that whoever believes in Him should not perish but have eternal life.

For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whoever believes in Him shall not perish but have everlasting life.

For God did not send His Son into the world to condemn the world, but that the world through Him might be saved.”

John 3:15-17

 

In Loving Memory of PINK

GONE TO BE WITH JESUS,   November 27, 2017