私には何者にも盗まれないものがある。それは Identity in Christ 。私が何をしていても、どこにいようと何を言われようと奪われることはない。世の中は長い間、私に様々な Identity を植え付けてきた。それは子供時代から遡っていく。子供は大人の反応や言ったことを素直に信じてしまうため、周囲によって出来上がったIdentity が形成され、その上に誰かの Copy を付け加えて何かになりすまそうとしたり、更に職業や特技やキャリアといった時と共に変わる不確かなIdentity を生きてきた。要するに本来 GOD が創造した私 という Identity は、長い月日をかけて失われてしまったのである。しかし、JESUS がクロスで私の Identity を奪い返してくれたように、偽の Identity は見事に崩れ落ちていった。はがれ落ちた古い Identity は、まるで落ちて割れたガラスの破片。受け入れられようと、認められようと、信じられようと、愛されようと、必死になっていた過去。それは自分の創造主に最高に愛されているということを知らなかった私。”神さまは、み~んなのことを愛している” という一般論でしかなかった GOD にとって一般人のひとりだった私という Identity。バイブルに書かれてあるように、JESUS が架け橋となって繋がる 親と子のリレーションシップは、完全なる個人なる愛。GOD の目を通したまなざしで自分を見ると、そこには完全に赦され、無条件に受け入れられた自分がいる。”I am a Child of God in Christ.” これが私の新たな Identity。それは自分で得たものではなく、クロスを通して Divine Exchange された確かなるものだからこそ、大胆に受け取ることができる。どこにいようと、何をしていようと、どう感じようと、誰といようとも、何を言われようと、クロスを見上げては自分の Identity を確認する。私は JESUS が大好きだからこそ、彼のためにも受け取ることを選ぶ。この Identity は、彼がクロスで支払った貴重な Priceless 。だからこそ大切に守っていかなければならないのである。この守っていくことが、私なりの JESUS への愛情なのだ。
” Before the coming of this faith, we were held in custody under the law, locked up until the faith that was to come would be revealed. So the law was our guardian until Christ came that we might be justified by faith. Now that this faith has come, we are no longer under a guardian. So in Christ Jesus you are all children of God through faith,” Galatians 3:23-26 (NIV)