BIG HAND

ビルほどに頑固な男はいなかった。夫はどうでもよいことに非常に頑なになることがあった。そのほとんどが些細なことである。結婚されている方はご存じのように、どの家庭でもありえる話である。そもそも人の話を聞かない夫にあれこれ言うのは更に悪化する一方で、そんな夫は私のことを非常に頑固な女性だと思っていたから驚きである。要するに二人とも頑固なカップルだったのである。お互いが何かしら良いと信じていること (My way )をやりぬこうとしているため、そこに譲り合いの余地はない。例えばクリスマスツリー。私はThanksgiving Day の翌日にはクリスマスツリーの飾りつけの準備に入る。クリスマスツリーをできるだけ長く楽しみたいためであった。それは夫も同じなのだが、夫はNew Year を過ぎてもクリスマスツリーを飾っていたい質であった。日本で育った私にとって New Year にでっかいクリスマスツリーが家のど真ん中に飾ってあるのはどうしても年を越した気がしなく、 New Year までにはクリスマスツリーを片付けたい質であった。しかし、アメリカでは New Year を過ぎてもクリスマスツリーを見ることはよくあることである。大晦日になって私がクリスマスツリーを片付け始めると、夫は子供のように、”Nooooooo!” と断じて譲らない。しかし、私にとって New Year はフレッシュな気持ちで迎えることに意味があり、日本人ならではの大掃除というのができないでいた。毎年 New Year が近くなるとふつふつとお互いの主張が始まる。クリスマスは救世主JESUSの誕生を祝うHOLYなるシーズンだけに、クリスマスツリーで口論はしたくない。しかし、何も言わなければ年中飾っているつもりなのかと思うぐらいクリスマスツリーを見張っている夫。だから毎年 New Year が近くなると結局はクリスマスツリーのことで揉め、なかなかすっきりした気持ちで New Year を迎えられないでいた。これが毎年続くのかと思うとうんざりしたが、そこで私は祈った。私に解決できないことは、GODならできる。Believerになった私にはJESUSの名において祈ることができ、それを聞いている存在がある。特別な祈りではなく、シンプルにこの’問題を大きな手に委ねたのである。それから忘れた頃の翌年のThanksgiving Dayのことだった。夫が突然、今年のクリスマスツリーは本物のもみの木にしよう、と言い出した。それまで私たちは Artificial  Christmas tree を飾っていた。本物のツリーを飾った経験がなかった私にとってそれは何よりも新鮮なる歓びであった。本物のクリスマスツリーは全く違う雰囲気を家に運んできてくれた。木の香りを十分に楽しむことができ(なによりも飼っている猫たちが喜んでいた)、今までとは違うクラシックなクリスマスを過ごすことができたのである。しかし、本物のもみの木だけに、クリスマスが過ぎると枯葉は落ち、茶色に干からびていく。猫がいるだけに更に枯葉は散らばっていく。家に長く置いておくことはできず、New Year Eve になるといやでも処分しなければならなくなった。そこではっとなった。一年前に祈ったことを。願いの如くその年は十分にクリスマスツリーを堪能しただけではなく、クリスマスツリーで揉めることはなく、すがすがしいお正月を迎えたのである。私は一年前に祈ったことさえ忘れていた。しかし、GODは忘れていなかった。ユーモアあるGODとのIntimacy relationship は、祈りを通して一歩ずつ近づいていったのである。

 

Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus.     Philippians 4:6-7(NIV)