DIVINE LOVE

私たちがうまれてきた目的の中のひとつに TO KNOW GOD (GODを知るため)というのがあり、その GOD の愛を受け取り、満たすべき心を与えられている。しかし、その GOD の愛で満たすべき空洞を、人の愛で満たそうともがいている人たちとたくさん遭遇した。どんなに美しくても、相手を変えても努力しても、虚しさから逃れられずに葛藤している女性たちは、私よりもはるかに美しく優れていて、愛されるべき条件が揃っている。

私は昔、とても愛されている老女と教会で出会ったことがある。ずばぬけて美しい顔立ちをしているわけではなく、何か特別な地位があるわけでもない。しかし、彼女はご主人から大事にされると同時に周囲からも RESPECT され、スポットライトを浴びているかのように愛に溢れていた。それは彼女の ご主人がずばぬけて良い人なのではなく、彼女がご主人にそれを強いているわけでもなく、皆に媚びを売っているわけでもなく、彼女は GOD の愛を知っていて、その愛で満たされ、その愛が周囲に溢れ出るぐらいに影響を与えていたのである。要するに GOD の愛で満たされていれば、結局は深く愛されるようになるということである。それが DIVINE LOVE. GOD だけが満たすことができるその愛は、人の愛を超えている。自分の最愛なる息子JESUS を犠牲にしてまで愛されているという真理と智慧は、頭だけでは知ることはできないようになっている。心で知るようになっているのである。深いところまで届くその万能なる愛は、無限である。リレーションシップを通して深まっていく Unconditional Love。それは言葉という限りのある表現では説明することはできないように、ひとりひとりの心にその答えが当てはまる空洞があるように、GOD は私たちにその愛を味わってほしいのである。それを悟りと呼ぶのならば、真理は愛なのだとも言えよう。私にとって今の人生は GOD とのLOVE STORY 。GOD が書いた物語が本来の運命であり、それは彼の愛を知る LOVE STORY  に他ならない。古い自分のやり方でどうにかしようともがき握りしめていたものを手放すことができてこそ、JESUS がセンターの人生になったのである。それはあきらめることではなく、投げやりになることではない。信じるということ。自分の人生を書いた著作者である GOD を 信頼する人生を選ぶことである。

Dear friends, let us love one another, for love comes from God. Everyone who loves has been born of God and knows God. Whoever does not love does not know God, because God is love.  1 John 4:7-8 (NIV)